1894年6月23日 フランスパリ・ソルボンヌ大学
国際スポ-ツ会議開催最終日…会議の主題はスポ-ツ国際交流
参集したのは、フランス、アメリカ、イギリス、ギリシャなど12か国 79のスポ-ツ団体の代表。
この日、ピエ-ル・ド・ク-ベルタン氏(のちのオリンピック創設者)は、一つの構想を提案した。
「現代社会の必要にふさわしいかたちで、オリンピックを復興しよう」とオリンピック開催のための諸原則を発表した。
@4年に一度の競技大会
A毎回、別の国での開催
B真に近代的な競技の採用
C学校生徒の除外
D恒久的な国際委員会の結成
この提案は、満場の賛同を得た。
そして、オリンピックの第1回大会をギリシャ(アテネ)で開催することを決定した。
国際会議は最後に、オリンピック委員会(IOC)の創設を確認し、初代委員15人を選出。
IOC本部はフランス(パリ)に置き、後にIOCが「オリンピックの日」と制定した。
長い模索と思案を経て、人々が共感できる理念
学生の人格形成、知力とともに、強靱な体力、進取の精神、
そして団結力に「スポ-ツによる青少年の教育」に決定したスポ-ツは、
身体的なものであるよ同時に道徳的、社会的なものであると、
スポ-ツ教育の促進こそ、オリンピックを現代によみがえらせる理念であると考えた。
19世紀後半
資本主義社会の興隆(こうりゅう)にともなう、鉄道の発達、航路の拡大となり、
都市から都市へ国から国へとこうりゅうの範囲が広がった。
スポ-ツがブルジョアジ-の上流階級の余暇活動から、次第に都市労働者の健康維持と楽しみになった時代となった。
1896年オリンピック第1回大会
参加国 14か国 選手数245人
創設者 ピエ-ル・ド・ク-ベルタン氏
理念 「スポ-ツを通して、世界の人々の相互理解と平和を」
5大陸 “5つの輪”に象徴されるオリンピックの5大陸は、当時の地理学で
ヨ-ロッパ、アジア、アメリカ、アフリカ、オセアニアの5つをいう。
国際オリンピック委員会(IOC)発足、現在200か国余りの国と地域が加盟。
国連加盟国に匹敵し、その数は、世界に網羅した。
「人類が生んだ価値ある文化」と成長した。
一方、大会規模の巨大化、開催都市にのし上がる財政の膨張、テレビ放映権の高騰、
開発と環境問題、選手の人権にかかわるド-ピング(禁止薬物使用)汚染のインフラ整備に追われた。
1896年4月 第1回大会アテネ
アテネ:古代ギリシャ社会でスポ-ツの花を咲かせたゆかりの地で開催となった。
現代に蘇ったオリンピック聖地…近代オリンピックの復興を誓った人々は、
万感(心に浮かぶ様々な感情の思い)で、
アテネを第1回オリンピック開催地に選んだに違いない。
ところが、肝心なギリシャ国は、政治情勢の不安定と財政難をかかえていた。
オリンピック招致を巡っても、王室は賛成、政府は反対と二分していた。
一時は開催さえ危ぶまれた。
創設者が説得し、なんとか開催にこぎ着けた第1回大会というのが真相である。(オリンピック書より)
14か国245人の選手が参加。飛び入りの旅行者もいた。
(後に組織運営局の整備が進みアマチュアに限り、出生国から出場することとなった。)
実施競技:水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニス、陸上競技の8競技
競技場では、フィ-ルド内で体操・重量挙げも行われていた。
ギリシャ政治の根本的問題資質
大成功に気をよくしたのか、ギリシャ政府と資金確保に一役かった
財団のザッパス協会「オリンピックは、ギリシャ国有のものだ」と主張。
「オリンピックは聖地で」このギリシャ永久開催論は、一部の賛同者が出るほど、一時期混乱が起きた。
それでも、大多数は「各国の持ち回り制こそ、現代にふさわしい開催形態である」と
「古代への回帰」や「一国独占」を却下し、
理は、現代にふさわしい理念にこそある。と判断された。
その4年後、1900年、オリンピック第2回大会は、フランスパリで開催された。
回想
1876年20年前、ギリシャのペロポネソス半島の寒村オリンピアで、
古代祭典の競技遺跡が発掘された。
天空の支配神ゼウスに捧げられた千年以上の長い期間開催された古代オリンピア祭。
競技者たちは、古代ギリシャの都市国家と地中海周辺の植民地都市から、
4年に1度エケケリア(戦争の休戦宣言)の布令にもとに、
争いごとをやめて、オリンピアにはせ参じたという。
古代実施された競技は、陸上競技、レスリング、ボクシングなど競技者は、男性に限られ、皆、裸体で身を清めて出場した。
古代オリンピックは、葬礼競技
古代オリンピックは、死者の栄誉を讃えるかたちで行われる葬礼競技であった。
競技は、
@戦車競争
Aボクシング
B相撲に似たパンクラティオン
C徒競走
D槍投げ
E砲丸投げ
F弓
G槍を用いた一騎打ち
この8種類が行われた。
戦車競技出場の資金づくり
戦車競技出場には、かなりの資金が必要だったため、
各国の貴族たちがオ-ナ-になっていた。
ある貴族は、使節一行の世話約を引き受け、よく尽くし、
王は御礼に「一度に身体に付けて持ち出せるだけの黄金を与えよう」といった。
この異様な贈り物の孟子でに、彼は、だぶだぶのキトン(衣)をまとい、懐を広く深くした。
また、大きな長靴を履いて案内された宮殿の砂金の山に座り込むと、
脚と靴の隙間に入る限りの黄金を詰め込み、懐いっぱいに黄金を入れたうえ、
自分の髪にも砂金を振りかけ、口の中にもほおばった。
王はさらにこれほどの黄金にもまさる贈り物を与えたのだ。
その貴族家は、莫大な財を得、彼はオリュンピア競技祭に四頭立て戦車を準備して出場し、
優勝の栄誉を得ることが出来たという話がある。
古代ギリシャのオリンピック競技
古代ギリシャのオリンピック競技は、技と美が重要な役割であった。
古代では、記録よりも、選手の技に美が備わらなければ評価されなかった。
ネメア競技祭の五種競技で優勝したアウトメデスは、
木槍を天空に向かって投げ、歓声を浴びるさまや、
レスリングでは、対戦相手の強靱な肉体を大地に伏しつけた様子などを次々と讃えた。
そこには、力と技に加え、人間の身体が織りなす美がにじみでており、
感動の嵐を呼ぶための必要性として美は重要な役割を担っている。
出場選手たちが、
“神にもまごう美”を技とともに発揮しなければ
たとえ、円盤や槍がとてつもなく遠くへ飛ぼうと、
優勝することはなかった時代があった。
2012年7月 第30回夏季オリンピック競技大会
2012年7月27日 第30回夏季オリンピック競技大会が
英国(ロンドン)で開催される。
ウサインボルト選手もヨハン・ブレ-ク選手も他の選手も、
力と技そして最強の美を取り入れ、
最大(MAX)の力を発揮して
ゴ-ルラインを駆け抜けてほしい。
ギリシャ国も他の国々も
いくつもの苦難を乗り越え、
最大(MAX)の叡智を発揮して
独自の産業を生み出し... 発展し...
そして、生まれ育った自国を...地を...
【誇りに思える国】に再生してほしい。
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